2008年02月12日
汐干す母像
国頭小学校内。かつて国頭校区は,塩害がひどく
米作りに適さないために,
生活の糧として海岸での塩作りを行い,
その塩と米を交換する生活を強いられていた。
先人のそのような苦労を忍ぶとともに,
昔の人々の知恵と努力を学ぼうとする思いで建てられた。
潮干し学習は同校で今も行われている。
2008年02月04日
暗川
暗川=「くらごう」暗川とは地下を流れる川のこと。
沖永良部は珊瑚礁の島で河川に乏しく,
昔の人々は飲料水汲み場,洗濯場等として利用してきた。
ローソクやランプの明かりを頼りに
頭に桶やバケツをのせての水運搬は
婦女子の日課で,重労働であった。
(画像は喜美留の暗川)
2007年11月08日
南州神社
島津久光公の怒りにふれた西郷南洲翁は沖永良部島へ流罪となった。
文久2年8月から元治元年2月まで(1862年~1864年)
1年7ヶ月の間,牢居。
南洲翁はその間,「敬天愛人」の思想のもと
村の子弟の教育に尽力し,
多くのすぐれた人材を輩出した。
南洲翁の遺徳を慕った村人たちは
1901年(明治34年)に謫居記念碑を,
翌年にはこの南洲神社を建立。
2007年10月30日
西郷隆盛謫居の地
沖永良部島は島津久光公の怒りに触れた西郷隆盛の1年8か月に亘る流罪の地。牢屋(刑舎)など西郷ゆかりの遺物が保存,顕彰されている。
西郷は,窮屈な獄舎でいつも正座をし,
囲外に島民の姿が絶える日はなかったという。
決して威張ることもなく,古今の聖賢の道や凶年への構えなどを説き,
帰藩のおりには愛蔵品を身の回りの世話をした島民に惜しげもなく与えたという。
西郷の「敬天愛人」の思想は沖永良部島の獄中生活から生まれたとされている。
2007年08月16日
ウジジ浜

ウジジ浜。
1890年(明治23年)9月,カナダの帆船『トゥーループ号』が台風に巻き込まれ座礁し,
乗組員22名のうち10名が行方不明,
12名が地元住民に救助されたがうち船長と職工1名が死亡した。
残る10名の生存者は島民の献身的な介護によって無事帰国の途についたという。
その後、カナダ政府は島民に感謝し,お礼として双眼鏡とお金を贈ったそうである。
110年後の2000年9月,ウジジ浜公園が整備され,
駐日カナダ大使と遭難した乗組員の遺族を招いて御霊を慰めるとともに,
先人の功績を偲びながら両国民の交流を深めるイベントが行なわれた。
2007年07月28日
タラソおきのえらぶ

和泊にある健康施設。
タラソテラピーは、
海の環境のもと、海水や海藻など、海の資源を活用し、
人が本来持つ「自己治癒力」を高めていく自然療法。
大きな風力発電が目印。










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